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zoom RSS 田方平野を行く

<<   作成日時 : 2015/06/17 22:35   >>

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平成27年3月、所用で伊豆の国市に行きました。空き時間を見つけて伊豆長岡、韮山、大仁を回ってきました。
出発は伊豆長岡、狩野川西岸を海に向かって走り出す。

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 E-PL3 正面には富士山も見える天気の良い日です。

千歳橋で狩野川を渡り東岸へ。伊豆中央高校を見ながら進む。狩野川桜公園の桜はまだ準備中。その反対側にあるのが、北条氏館跡。といっても発掘調査はすでに終了し現在は覆土されているので単なる空き地にしか見えない。
北条氏は言わずと知れた、源頼朝の妻・政子の実家。この館跡後ろは山(守山)になって、対岸も平地が切れる部分があり、旧伊豆長岡町・市街地への関所みたいなところなっている、守山という名の通り守るのにはよさそうなところである。

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E-PL3 今は空き地の北条氏館跡

狩野川から少し離れて東へ入ると、政子さんの産湯の井戸がある。
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 E-PL3 といっても住宅地の一角。ちょっと肩身が狭い。

産湯の井戸の前には堀越御所跡地がある。時代は源平から戦国時代へと移る。
室町時代京から関東に派遣された長官を鎌倉公方や関東公方と呼ばれていた。その当時鎌倉公方として鎌倉に入ろうとした足利さんが、諸事情により鎌倉に入れずここ伊豆の国市寺家に居を構え堀越公方と呼ばれるようになった。
当時の住人にしては余分な貴人が増えて面倒なことであっただろう。
後年、この堀越御所は沼津興国寺城の主・北条早雲によって滅ぼされた。戦国時代幕開けの一つである。
この跡地も今は更地となっている。

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E-PL3 伝堀越御所跡

守山という山を中心にして時計回りに、9時の位置に北条氏館跡、12時の位置に伝堀越御所跡、政子の産湯の井戸と回ってきた。次は3時の位置に願成就院、もう一度源平時代である。
願成就院にに行くには守山の東を少し南下する。そこは下田に向かう街道に沿っていて、現在も国道136号線が近くを走る。交通の要衝である。

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 E-PL3  願成就院

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E-PL3 北条時政の墓

しかし、願成就院とは平氏を滅ぼした喜びが素直に伝わるストレートなネーミング。
これから時間軸を巻き戻して進む。願成就院の裏手にある守山八幡宮。ここで頼朝は源氏再興を祈願し挙兵をした。目指す相手は目と鼻の先にいた、代官山木判官。ここから源平合戦・奥州平定までの時代絵巻が始まる。

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 E-PL3 守山八幡宮舞殿

石段を上ると舞殿があり、さらに本殿へと急な階段があるが、面倒くさいので舞殿を見ただけで満足する。
頼朝は遥か山木館の火煙を見て挙兵の成功を確信したというが、なるほどここからならば周りを見渡せる距離感である。

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  E-PL3 八幡宮から山木郷方面を望む。

ここからさらに時代をさかのぼり頼朝が流された史跡・蛭ヶ小島へ。田方平野は狩野川より運ばれた土砂とその氾濫により作られた沖積平野である。国道136号線を横切り東へ向かうと、視界が開ける。狩野川の氾濫によって作られた軟弱地盤なのか、人家が減り田んぼの多い景色である。そんな中に史跡・蛭が小島がポツンとある。
頼朝が流された場所は正確には分からないらしく、この場所も多分この辺だろうということで決められた。
少々感情移入のできない史跡を写真に収める。雪をかぶった富士山がよく見える。

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 E-PL3

頼朝はこの地で20年過ごした。忍耐強く、計算高く、冷酷なイメージが私にはある。今日は天気がよく富士山もきれいに見えるが、平氏の影と狩野川の氾濫におびえながら耐えた20年はどんなものだったのだろうか。

再び戦国時代へ、蛭ヶ小島を北へ移動すると韮山中学校と韮山高校の間に韮山城があった。ちょうど田方平野の東の端、城跡に上ると田方平野と富士・箱根が一望できた。

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E-PL3 左に富士 右に箱根を望み、真中は三島市街であろう

堀越御所を滅ぼした北条早雲はそのまま伊豆に居座りこの地に韮山城を拠点として、箱根の坂を超えた。なるほどここからの景色では箱根は手を伸ばせば届きそうな気がする。
のちに早雲はここ韮山を起点に小田原を攻略し、関東を支配した後北条氏を築いた。

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E-PL3 山腹には熊野神社がのこり、苔むしている。

城跡を西に下ると城池親水公園がある。
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E-PL3

城池親水公園をさらに進むと、韮山代官の江川邸が見えてくる。韮山代官というと今の感覚でいえば地方都市の市長さん程度かなと思ったが、伊豆・駿河・相模・武蔵幕末には甲斐までも管轄し、その領地は5-10石程度、並みの大名以上の実力である。当主は代々江川太郎左衛門を名乗る。

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E-PL3 大名ではないので城ではなくあくまで屋敷

韮山反射炉を作ったのも江川太郎左衛門、ペリー来航から始まる、幕末初期のころである。
しかしながら、頼朝、早雲に比べて知名度はいまひとつ。彼の名前より反射炉のほうが有名ではないだろうか。
かくいう私も遠くから写真を撮っただけで素通りである。
後日、江川太郎左衛門をテーマにした番組を見た。知名度が低いのは、お台場や反射炉などを製造したことが、GHQによる軍事色の払拭の影響によるものであるとの説明もあったが、彼は幕臣 同じように時代を切り開いた吉田松陰は、のちに勝利した長州・官軍側で明治政府につながる。勝者と敗者の光と影、100年以上たった今でも明治維新の影響は残っていうるような気がする。

江川邸の傍らにあったのは、頼朝に焼き討ちされた山木判官館跡の案内板。その案内板に誘われながら山木郷を歩く。結局屋敷跡は現存せず、このあたりにあったのかな・・・・程度のことしかわからなかったが、それもまたよし。敗者の歴史はなかなか残らないが、山木郷は富士を望む日当たりの良さそうな場所であった。

江川邸を後にして南へ進む。途中に反射炉が現れるがちょうど昼時 私の頭の中は何を食べるかでいっぱいであったのでまた素通り。
後日、韮山反射炉の世界遺産一覧表へ記載することの勧告が行われたと報道があり、早くも観光客が増加したとのニュースがあった。あの時立ち寄ればよかったかなと、思ってみたりした。
身近な観光地はなかなか立ち寄らないのである。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
富士山が身直な風景、良いですね。
流石にE-PL3、鮮やかで精細です。陽射しが強いようですが影が潰れずにデイティールが感じられていて感心しました。
伊豆というと天気の良い日に御前崎の突端から遠くに見ただけで実際に見て歩いたことがありません。武家の歴史を伝える史跡が多く在るようなので興味深いです。
NAO310
2015/06/18 14:52
NAO310さんありがとうございます。
このときのレンズはなんだったかなと調べなおしましたら、パナソニックの14oとアダプターを介してニコンの単焦点でした。パナソニックの14oはあまり評判は良くないみたいですが、解像度が高くお気に入りの1本です。撮影後PCでいじるのですが、ちょっとコントラストがきついかなと思ったりもしています。
韮山周辺は歴史を作った三人を中心に比較的狭い範囲に史跡が点在しているのだと今回改めて思いました。時間を作ってもう一度回りたいです。
kuma
2015/06/21 08:43

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